はじめに

富士山の開発を制約する世界遺産登録に反対し、自然と共生した形で富士山を開発、日本人の心である日本最高地点へ一人でも多く上がれるようにすべきです。

富士山の現状

富士山が他の山と異なる点として 日本最高地点を擁するため、それだけで行きたいと思う人が多いところです。
東海道新幹線や富士急行、東名高速、新東名高速、中央自動車道からのアクセスが抜群。勤め人の短い休暇でチャレンジできるのも魅力の一つです。
古くは江戸時代、五街道が整備されると、東海道からのアクセスが抜群に良くて江戸から望見できる富士山は、江戸時代から一般の町民によって信仰の対象として登山が行われていました。(当時のお伊勢参りや富士講は信仰に名を借りた物見遊山というのが実際のところですが)
自然遺産を蹴られた後でも世界遺産に登録できるのは、信仰の対象であったとともに、古くから登山が行われていた(=登山者がいたおかげ)なのです。

戦前戦後を通じて登山は幅広く行われていましたが、近年の登山ブームで登山道具の価格が下がって種類も増え、ガイドブックやインターネットで初心者でも簡単に情報が集められるようになったためますます敷居が低くなりました。

登山客が増えて山小屋が増え、山小屋が増えると登山客も増えるという好循環。売店で飲食物が容易に手に入ったり、万が一の時は雲霞のごとく居る他の登山客に助けを求めることができるなど、気候を除けば初心者にも心強い稀少な山です。
山小屋が林立していることや登山客の多さ、景色に乏しいことから山岳愛好家は顔をしかめていますが、山国である日本には美しい山々がたくさんありますので、日本最高地点にこだわらなければ、他の選択肢はあるでしょう。

実際に富士山に登って感じたのは「日本最高地点」であるための特別な場所であること。 日本人の心の聖地です。多少の人工物があっても、ブルドーザーが行き交っていてもその値打ちは変わりません。
神社仏閣の門前町だって、俗っぽくて賑やかだけど違和感がないのと同じです。
極言すればテーマパーク化してもいいのです。 その日本人の聖地には一人でも多くの人が行けるようにすべきと思っています。 


ただ、昔に比べて改善されたとはいえ、トイレの悪臭が漂い、ブルドーザーや発電機は黒煙を上げ、山小屋はすし詰め。登山道はやせ細っています。
また、頂上銀座と呼ばれる大混雑も問題です。


 
登山客をすし詰めにする山小屋のイメージ

富士登山者を迎えるにあたって為すべきこと

富士山には二ヶ月しか登れないので、登山客が集中するのは当たり前です。
素人が9~6月に登ろうとしたら大変です。それなら自然と共生しつつ、一人でも多くの登山客が日本最高地点にたどり着けるようにすべきではないでしょうか。

● ブルドーザー道を拡幅&簡易舗装したトラックが走行可能な道路改良。
● 上下水道、電線の敷設、
● 登山道の拡幅と岩場道の緩斜面化。

そうすることで、資材が上げやすくなって山小屋の居住性や食事も良くなるだろうし、高山病に効く与圧休憩室、洗面台と水洗トイレも設置して衛生面もバッチリ。汚水は下界の汚水処理場へ。
電力を使用すれば黒煙と騒音を吐く発電機は廃止できます。登山客が踏み荒らす登山道も拡張して固めて整備。高齢者や子どもでも体力さえあれば登れるようにすればまさに国民の聖地。
ふもとにはソーラー発電のパネルを設置したり、五合目から上に行くトラックは電気自動車にしてもいいでしょう。
また、登山道の増設が難しければ、御殿場口登山道の五合目をもっと上に移設して、活用すべきです。(新しい五合目はバスのみ乗り入れ可能でも良い)

ただ、最高地点を心の聖地と捉えた場合、旧富士山測候所だけはいたたげません。
浅間神社向かいにある山小屋の隣に移設して、最高地点の面積を確保すると共に、最高地点から山麓方向への視界も確保すべきでしょう。標識も同一のものを何本か立てて、撮影渋滞も緩和できるといいですね。


 
旧富士山測候所の建物

世界遺産の意義

そもそも世界遺産とは 外国で文化財や自然が破壊されることを憂う、(遺産のある当事国から見て)外国の人たちが「人類が共有すべき『顕著な普遍的価値』を持つ移動が不可能な物件」にお墨付きを与えることです。 
よく言えば世界基準で認められた物や地域は人類の共有財産ということになりますが、登録された物件に関わる人たちにとっては「大きなお世話」ということもあります。
現にオマーンの「アラビアオリックスの保護区」、ドイツの「ドレスデン・エルベ渓谷」で登録が抹消されています。 前者はユネスコが定めた野生動物の保護区域を政府自らが縮小したこと、後者は、住民が世界遺産を抹消されることを承知で直接住民投票を経て橋を建設したことによります。世界遺産という勲章よりも、自国の広大な土地の開発や橋の方を選んだのです。


富士山でも、登山客からの不満が多ければ世界遺産を返上すべきです。 


世界遺産に選ばれると、名声を得ることで周辺の観光地に多大な影響を与えます。
白川郷は登録前には60万人/年だった観光客が、登録後140万人/年近くに増えました。
しかし、世界遺産は保全が目的であり、観光開発を促進する趣旨ではないはずです。観光上の開発が制限されてしかるべき性格のものなのです。開発の制限というのは、バリヤフリーやユニバーサルデザインに関わるものも含まれるでしょう。
それは、富士登山をして日本最高地点を極めたいという日本人の気持ちと相反するものであると言えます。
実際、世界遺産登録で喜んでいるのは富士山を仰ぎ見るポジションにいる門前町の人たちばかり。 他人のふんどしで相撲を取ろうという連中ばかり。
外国製の勲章をもらって喜ぶのはいいですが、大切なモノが消えてしまうような気がして残念です。 
繰り返しになりますが、世界遺産の基準というのは外国の人が考えたもの。
あまりにも意固地なそれは、まるでグリーンピースを彷彿とさせます。イコモスの人たちは、大量に集まってくる富士山登山客のことをクジラを喰らう野蛮人と同等に考えているのではないかと勘ぐりたくもなります。

実際、文化遺産なのにも関わらず「登山客を規制しろ」と条件がつき、県などはユネスコに尻尾を振る飼い犬のごとく入山規制の検討におおわらわ。
もちろん、自然との共生という条件をつけたうえでの観光開発が認められるのであれば反対などしません。
しかし、それでは世界遺産の値打ちがなくなる。だから基準を守らせる。ユネスコの言いたいことも分かりますが、それなら他でやってくれ、こっちを向くな、ということになりましょう。


バイオトイレ、マイカー規制、富士山をめぐる人たちは様々な努力をしてきました。
自然と共生しながら多くの登山客を受け入れることは日本人の知恵でできるはずです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
富士山は世界の遺産=見せものではなく、日本人の心なのです。

気象的・地理的な条件で制限を設けたり、設備を整えても人が入りきれなくなった場合はやむを得ないとして、日本人が自由に入れることこそが富士山のあるべき姿です。